2021年4月 5日 (月)

あっち亭です。ここのところ、

このブログに書くことがありましたが、

接続が不良で書けませんでした。

いま、こうして書いていますが、

なにを書くのか、忘れてしました↓。

われながら、がっくり。

2021年3月31日 (水)

あっち亭です。4月14日の件です。

第35回 あっち亭こっち勉強会は
4月14日(水)午後1時開演、
お江戸両国亭で500円。
出演は落語で紺野相龍(こんの・そうりゅう。俳優)、
バラバラダのギター漫談です。
どうぞ、おいでください。

紺野相龍さんが、ネットラジオの生放送に出て、落語を一席(半分)演ったのはいいの
ですが、
その後、あっち亭こっち落語会の日にち14日を、17日と間違えて言っています。
それがYouTubeに動画でながれています。
(番組の35分ごろから、ごらんください。長田のことも言っています)
https://www.youtube.com/watch?v=YNGbebE2ros

 

2021年3月25日 (木)

あっち亭です。ひさしぶりに、

先日、東京・三宅坂の国立劇場にいきました。
歌舞伎「時今也桔梗旗揚」を見ました。
時今也桔梗旗揚は、ときは いま ききょうの はたあげ、です。
明智光秀が織田信長から辱(はずかし)めをうけ、信長に復讐をする過程を描いています。
通称、馬盥(ばだらい)の光秀。
これは信長が光秀に酒を与えるのに、馬を洗う盥(たらい)で飲めという
無理無体な場面からきています。
わたしは、ずいぶんまえに、歌舞伎座で、
中村吉右衛門の光秀で目にしました。
今回の光秀は尾上菊之助。
織田信長は坂東彦三郎。
ふたりとも声量、口跡ともに素晴らしい。
光秀が信長の横暴に耐えるシーンは他人事とはおもえない。
よい芝居を拝見しました。
国立劇場の二階には、
画家・川端龍子(かわばた・りゅうし)の「天橋立(あまのはしだて)」が
掛かっています。
この絵は見るたびに感動を新たにします。
もう50年近く見ているのだろうか。
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2021年3月23日 (火)

あっち亭です。

『歌舞伎・ザ・エンターテインメント』(扶桑社文庫)という本を読みました、1994年に発行。
著者は塚田圭一(つかだ・けいいち)で、歌舞伎座で、このひとのイヤホン・ガイドは何度も聞きました。
 本書で塚田さんは歌舞伎の魅力を解説している。
 塚田さんは子どもの時分から歌舞伎に親しんでいて、
いわゆる大歌舞伎だけでなく、「小芝居(こしばい)」もたくさん見ていた。
 その小芝居の「かたばみ座」には、大学の卒論がきっかけで在籍もしていたようです。
 本書の、この「かたばみ座」に目がとまりました。
 わたしの敬愛する飯田豊一(いいだ・とよかず。2013年に死去。83歳)さんが、このかたばみ座にいました。
 飯田豊一さんからは歌舞伎のはなしをたくさん聞きました。
 飯田先生は、このかたばみ座の市川福之助の弟子になって、初舞台は「丸橋忠弥」の犬でした。
 市川福之助から名前をもらいました。市川福までは覚えていますが、下のほうは忘れました。
 かたばみ座は昭和35年に解散しました。わたしはもちろん、かたばみ座はみておりません。
 敗戦直後から歌舞伎座の芝居は、飯田先生はお亡くなりになる直前まで、ごらんになっていました。
 坂東三津五郎は四代にわたって、目になさっていました。
 飯田先生には濡木痴夢男という別の名前もあります。
  http://pl-fs.kir.jp/nureki/index.htm

2021年3月21日 (日)

あっち亭です。

こうして書くのは、
なんと1か月ぶりですか。
わたくしは、なんとなく、ほそぼそと
生きております。
ここのところ、ふたつの仕事が重なりまして、
おたおたしておりました。
4月14日の会の会場代も、まだ払っていません。
すぐに手配をします。
おととい、体重が58キログラムを切りました。
成人以降、はじめてのことです。
(わたしは20歳代には最高で83キログラムあったのです)
わたしも、そろそろかもしれません。
4月14日の会には、お越しください(これが、いいたかったんです)。

2021年2月18日 (木)

あっち亭です。一龍齋貞水の追悼文を書きました。

この追悼文は共同通信社から配信され、
2020年の12月末に、
北海道新聞、岩手日報、河北(かほく)新報、
下野(しもつけ)新聞、信濃毎日新聞、新潟日報、
徳島新聞、愛媛(えひめ)新聞などに掲載されました。
以下に全文を載せます。
実際の記事は写真付きですが、
写真には著作権がありますので、
文章のみです。

◎守りと開拓、おおらかな芸 
  一龍斎貞水さんを悼む
   長田衛(おさだ・まもる) 

 雨あられ
 雪や氷とへだつれど
 落つれば同じ谷川の水
 一休道歌を基にしたと思われる歌を、一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)は
高座で好んで語った。講談界初の人間国宝は12月3日に肺がんによる肺炎で逝去、81歳。
講談一筋65年、11月25日に自身主催の会で口演したばかりだった。
 講談は釈台という机を張り扇でたたき、調子を取って、武勇伝、敵討ちや政談などを語る伝統話芸で、
明治の頃まで人気を誇った。10代半ばでこの道に入った当時、明治時代からの
古老・邑井貞吉(むらい・ていきち)らが健在で、じかに学び、講談の神髄を肌で吸収した。
 講談が振るわない中、貞水は「守るべきものと開拓すべきものがある」が持論だった。
 古格を守り、大きな張りのある声で英雄豪傑の逸話を語り、盗賊の悪行を述べ、
勧善懲悪を説き、人が抱える心の闇の深さも観客の胸に刻んだ。
 息を継がず豪放にとうとうと語る「修羅場読み」が講談の特徴で、貞水はその手本だった。
物語の面白さを肉体化し、現代のエンターテインメントにしてみせた。
代表作は「鉢の木」「赤穂義士本伝」「雲霧五人男(くもきりごにんおとこ)」
「緑林五漢録(みどりのはやしごかんろく)」など。
 立体講談として「四谷怪談」では大道具、照明や音楽を効果的に用い「怪談の貞水」と異名を取った。
 マクラで自身の光頭をネタにするユーモアと稚気。重厚さと軽快さを交え、
30分の予定が1時間の長講に及んでも苦にならない、おおらかな名人芸だった。
鍛え込んだ技と独自のセンスで初めての観客にも親しまれた。
 人間国宝に認定されて18年、講談協会の会長として普及・発展に寄与し、
後進を育成した功績は大きい。講談「伝承の会」という、所属組織や東京・大阪
の枠を超え、若手が教えを請いたい先輩から稽古を受け、その演目を発表する画
期的な催しを実現した。
 講談師の数はただ今、東京、大阪で約100人。
いまをときめく麒麟児(きりんじ)・神田伯山(かんだ・はくざん)も組織は違
うが、貞水から影響を受けている。講談界は復興の兆しを見せ、若いファンが増大。
 歴史の大河の一滴になられたが、多くの言葉、映像や音源を残し、
貞水講談の源流は脈々と受け継がれる。(演芸研究家)
 
 記事には、おさだ・まもるの略歴も載っています。
「1952年、宮城県うまれ。雑誌編集者を経て、
演芸研究、評論。著書に「浪曲定席 木馬亭よ、永遠なれ」。
「大研究 落語と講談の図鑑」制作協力」とあります。
本日は以上です。


2021年2月13日 (土)

あっち亭です。本日も訃報です。

朝日新聞に出ていました。
漫才の東 京丸(あずま・きょうまる)が亡くなりました。
心不全、77歳。
東京丸・京平(きょうへい)の漫才コンビ、わたしは好きでした。
京丸はいかにもヘンなことをいいそうで、いうのです。
一番好きなネタは、
京平「男が苦労をしてウチを建てるのがいいね」
京丸「親が作ってくれたウチに住むのが一番いいだろう、楽で」
2019年の11月に浅草・東洋館で見たときには、
京丸はヨダレがとまらずに、漫才をしているさなかに舞台をおりました。
顔も固まっていて、動きもぎこちなかった。
本も出している。
『ヨイショの京丸 しくじり漫才記』で、意地のわるいことを書いています。
相棒の京平が気のいい常識家に見えた。
ひとつのネタでおちをつけて、
京丸がマイクの周辺を、
チャンチャンチャンチャンチャン・チャラッチャチャンチャンチャンと言って、
泳ぐように一回りする。
京丸の背広の裾を京平が持ってお供をするのだが、
晩年は京平は、その動作をしなくなった。
わたしはこのコンビを記憶していよう。

2021年2月 8日 (月)

あっち亭です。梅鶯(ばいおう)師のこと。

二代目春日井梅鶯(かすがい・ばいおう)が亡くなりました。
朝日新聞で訃報は読みました。
交通事故によるくも膜下出血のため、1月29日に死去、享年93。
拙著「木馬亭よ、永遠なれ」の54ページに
梅鶯師のインタビュー記事が載っています。
わたしのこのHPの「芸豪烈伝」にも載っていて、
こちらが初出なので、写真も省かずに出ています。
こちらも、ごらんください。
初代の梅鶯は有名なひとで、売れに売れた浪曲師。
浪曲好きは梅鶯節を真似できます。
二代目は女性で、初代の実子です。
24歳にデビューをして父の教えを遵守する。
35歳のときに父に独立を願い出るも却下。
ここから自立の厳しい浪曲人生が始まりました。
父親との確執、葛藤、修行、自立。
父の初代・梅鶯との和解がないままに
初代は昭和49年に亡くなったのでした。

2015年、拙著「木馬亭よ、永遠なれ」を
二代目・梅鶯師にお送りしたら、手紙がきて、
そこには、交通事故で背中をいためて、療養中とありました。
梅鶯師への取材は数回していて、
1999年に「月刊浪曲」で
「写真で見る浪曲人生」という連載を5回にわたって載せています。
これもHPに掲載します。
いま、あの独特な梅鶯節をつかう浪曲師は
木馬亭定席にあがっていません。

2021年2月 4日 (木)

あっち亭です。一龍齋貞水師の追悼記事は地方紙、八紙に掲載されました。(春日井梅鶯師のことは明日にします)

昨日、配信元の共同通信社から送られてきました。

北海道新聞、河北新報、岩手日報

新潟日報、下野(しもつけ)新聞、

信濃毎日新聞、愛媛新聞、徳島新聞です。

こうしてみると、見出しの付けかたや、

レイアウトもさまざまです。

同じ素材でも表現は、それぞれなのですね。

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2021年2月 3日 (水)

あっち亭です。この下の記事ですが、写真が挿入されていませんね。すみません、不慣れなものでして。明日は二代目・春日井梅鶯について書きます。

タウン誌「浅草」です。

桃中軒雲右衛門の漫画です。



«あっち亭です。「浅草」というタウン誌があります。